辺野古の埋立中止を要望する声明
敗戦後70年にわたる沖縄の歴史は、とりもなおさず基地の歴史であったと言っても過言ではありません。「本土」の基地が縮小の方向に向ったのに対して、沖縄の基地負担は増大し、その結果、全国面積の0.6%にすぎない小さな沖縄県に、全国の米軍専用施設の74%が集中するという異常な事態に達してしまいました。私たちはこの事実を黙って見過ごすわけにはいきません。
そうした異常な事態の中で、普天間基地の全面返還の代償として、辺野古に新基地を建設することが決められました。しかも沖縄県知事選挙をはじめとするこの間の度重なる選挙結果に示された沖縄県民の、建設反対の強い民意を無視して強行しようというのです。民主主義社会において、民意はあらゆる案件にわたって最も重んじられねばなりません。したがって沖縄県民のこの思いは、最大限尊重されねばならないはずです。
さて辺野古の大浦湾一帯は、美しい景観と豊かな自然に恵まれた、楽土と言うにふさわしい場所です。青い海の中に、サンゴ礁、マングローブ、干潟、海藻藻場、砂場、泥場が連続し、さらに絶滅の恐れが高いジュゴンが生息する、生物多様性に富んだ沿岸域であります。沖縄県の自然環境の保全に関する指針では、「自然環境の厳正な保護を図る区域」とされてもいます。そこを土砂で埋め立て、V字型滑走路を建設するという行為は、美しい自然や景観への冒瀆以外の何ものでもなく、また国民的自然遺産の喪失でもあります。
しかもその埋め立て用の土砂は、2,062万㎥(東京ドーム17個分、内訳は、山土360万㎥、海砂58万㎥、岩ズリ1,644万㎥)に及び、そのうち岩ズリは西日本各地の、たとえば奄美群島、佐多岬、天草、五島、門司、小豆島、防府等々から掘り取って運ぶことになっています。それは辺野古にとどまらず、「本土」の景観や自然の破壊を招くことを意味してもいます。これまで瀬戸内海や九州の山野海浜は、経済発展の犠牲となって大規模な破壊と収奪を余儀なくされてきましたが、それがいっそう加速されることになるのです。そしてさらにそれは、「本土」側の辺野古の基地建設への加担をも意味すると言えます。私たちはいつまでも同じ過ちを繰り返すわけにはいきません。
1958年の夏、米国統治下の沖縄から、初めて首里高校が甲子園大会に出場しました。初戦で敗退した首里高ナインは、甲子園のグランドの土を沖縄に持ち帰りましたが、その土は沖縄の検疫所の係官によって、海中に投棄されました。その時の選手たちの思いを踏みにじるように、今回はそれとは比べようもない膨大な量の「本土」の土砂が、沖縄の海に投じられようとしています。そしてそれが、沖縄の美しい自然と景観を根こそぎ破壊しようとしています。辺野古の美しい景観は、戦争のための基地とは相容れぬものです。
私たちは辺野古の埋め立てという事件を、自らの問題として捉えつつ、この破壊行為を断念するよう、強く要望するものです。そして辺野古と「本土」の自然と景観を守ることを心から願うものです。
2015年5月30日
日本景観学会春季大会参加者一同